あさか開成 校長雑感

ONE TEAM

ラグビーワールドカップでの日本チームの快進撃により、スローガン「ONE TEAM(ワンチーム)」はとても有名な言葉になりました。

しかし、そのスローガンは日本だけのものではありません。昨日、日本と対戦し、勝利した南アフリカ代表チーム、愛称スプリングボクスは、1995年の自国開催のワールドカップで、「ワンチーム、ワンカントリー」をスローガンに闘い、そして、世界一となりました。南アフリカにおいて、ラグビーというスポーツは、白人のスポーツであり、アパルトヘイトの象徴でもありました。アパルトヘイトとは、南アフリカで1948年から91年まで続いた白人と有色人種とを区別する人種隔離政策のことです。

94年、黒人初の大統領に就任したネルソン・マンデラは、反アパルトヘイトを訴えて闘い、政治犯として27年間の長きにわたり獄中生活を余儀なくされた人でもあります。しかし、大統領就任後、白人に報復をしませんでした。それどころか、95年の自国開催のラグビーワールドカップをむかえるにあたり、スプリングボクスを全力で応援したのです。人種問題で争うことを終え、お互いがお互いを認め合う国を本気でつくろうとしていたのです。

当時のスプリングボクスには、黒人選手はチェスターたった一人しかいませんでした。マンデラ大統領は、決勝戦の試合前に更衣室を訪れ、選手たちに「さあ祖国のために戦おう」と呼びかけたそうです。そして、チェルシーに「栄光は君にかかっている」と激励したそうです。ニュージーランドのオールブラックスとの決勝戦は死闘となりました。試合は史上初の延長戦となり、スプリングボクスは15-12の接戦を制し、初出場初優勝の快挙を成し遂げました。当時のスプリングボクスのキャプテンのピナールは、「4000万人の国民が後押ししてくれた」と、全国民での勝利を強調しました。スプリングボクスのジャージーを着て決勝に現れたマンデラ大統領がピナールに優勝カップを手渡したシーンは「ワンチーム、ワンカントリー」を体現した瞬間でもありました。

この勝利によってすべての問題が解決するほど、人種問題は簡単な問題ではありません。現在のアメリカ合衆国ですら、人種問題を巡り、国が二分されていることをみればわかるでしょう。しかし、「ワンチーム、ワンカントリー」を唱えて挑んだ闘いは、スポーツが持つ大きな可能性を感じるものでもありました。