あさか開成 校長雑感

平和とは⑥

平和とは一体どのようなものでしょうか。

以前、私は、「平和とは、一人ひとりが自己の可能性を信じて、他者と協力しながら、その可能性を追い求めることができる状態である」と書きました。一言で言えば、「暴力」がない状態と考えています。

少し話は逸れますが、この平和の考え方が、国際科学科である本校の目指す教育像にもつながっていることを確認したいと思います。本校のモットーは、前鈴木校長が残してくれた「I can do it」です。自分を信じ仲間を信じる力を、明日が今以上に素晴らしいと思える力を、仲間の夢を自分の夢のように喜ぶ力を、そして、何度も転びながらも起き上がり、未来を信じ行動する力を、生徒に身に付けさせていきたいと思っています。

話を戻しましょう。では、「暴力」とは一体どのようなものなのでしょうか。「暴力」=戦争という簡単な図式ではありません。

ノルウェーの学者ヨハン・ガルトゥング氏は、「暴力」には、「主体的暴力」と「構造的暴力」とがあると言っています。そして、彼は、戦争のない状態である「消極的平和」だけではなく、貧困、抑圧、差別など構造的暴力のない状態である「積極的平和」をも目指さなければならないと強く訴えています。

「主体的暴力」とは、主語がはっきりとした暴力で、戦争などが示すように「誰かが誰かを倒そうと攻撃している」と表現することができます。しかし、差別や飢餓、貧困など主語のはっきりしない、つまり社会構造そのものに組み込まれてしまっている暴力もあるのです。それを、「構造的暴力」と呼びます。「構造的暴力」は、社会構造に組み込まれてしまっているために、気付かずに人生を終えてしまうこともあります。例えば、「お金がないから、進学することはできない」などは、これに当てはまるでしょう。差別や貧困は、その人の潜在的人格を発揮できない状態にし、その人から夢や希望を奪ってしまうのです。

では、どのように平和をつくっていかなければならないのか。

この半年をかけて、少しずつでもいいので、考えていきましょう。校長室はいつも開いていますので、お話しに来てください。

 Let's think.