あさか開成 校長雑感

2019年11月の記事一覧

おもてなし

昨日11月14日(木)、5・6校時に、総合的な学習の時間で、2020東京オリンピック・パラリンピック教育推進の一環として、1年生を対象に、海外からのお客様をお迎えするためのグローバルマナーの基礎を学び、自己を確立し他者を受容する心、社会に貢献しようとする心等のボランティアマインドを育成することを目的として、筑波大学客員教授の江上いずみ氏を招聘し、「グローバルマナーとおもてなしの心」を演題に、講演会が開催されました。

江上氏は、30年間、日本航空の客室乗務員として勤務し、その間、「おもてなしの心」をポリシーに機内サービスの向上、後進の指導に当たり、数多くのお客様の褒詞によりCS部長表彰、本部長表彰等多数の表彰を受けた方です。また、日本航空退社後は筑波大学客員教授に就任し、現在、年間250件を越す講演会を実施しながら、「おもてなし学」の構築に取り組んでいます。

昨日の講演で特に印象に残っているところは、「おもてなしの心」はユニバーサルなものだということです。つまり、「おもてなしの心」は、外国人を迎えるときのみに大切なものではなく、普段の生活、そして、すべての人間関係において、とても重要なものであることがわかりました。

講演内のお話をひとつしましょう。「笑顔は一円もかからないおしゃれ」と笑顔の大切さをお話しした際、では、視覚障害者に対して、笑顔を伝えるためにはどのようなことをすれば良いかを考えてくださいと言われました。数秒間ですが、とても考え込みました。想像力の貧困な私は、思考が同じところをくるくると空回りしているのを感じました。答えは、簡単でした。明るい声、江上氏いわく「笑声」で話しかけるということでした。言われて、はっとしました。人は、必ず、外界とのチャンネルを持って生活をしています。あらゆる感覚が世界とつながっているということを忘れていました。わかり合えるもので代替すれば良いだけだったのです。私が普段、言葉が話せないから壁ができているのではなく、できないという気持ちが壁を作り出しているのだと、生徒に話していることと同じことでした。多様性のある、つまりダイバシティの社会を構築していくためには、まず、偏見を捨て、他者をきちんと理解すること、そして、信頼することが大切です。「おもてなしの心」とはそういうものなのかもしれません。

少し話が逸れるかもしれませんが、若い頃、先輩から生徒を「みる目」を育てなさいと教わりました。「みる」には、見る、観る、看る、視る、覧るなど、多くの言葉が当てはまります。多くの感覚で生徒を「みて」、多くの「ことば」で伝えることの大切さを教わりました。

講演会終了後、本日の講演を聴いていただいた生徒たちに感謝の気持ちを伝えたいと江上氏は、200名の生徒全員を体育館出口で「ありがとうございました」と声かけをしながら見送りました。それに対して、握手を求めたり、ハグをしたりする生徒もおりました。「おもてなしの心」を少しは実践できるようになったなと感じた瞬間でした。

(おもてないとサービスの違い)

 おもてなし・・・見返りをもとめない対応

 サービズ・・・・主従関係あり

(関根学年主任への質問)

 関根先生は、どのようにして通知表を生徒に手渡しますか?

(講演の最後に、生徒たちへエール)

 本日は、あさか開成航空にご乗車いただき、大変ありがとうございました。・・・

(1年生200名を見送る江上氏)

11月の花、その後

先日13日(水)に紹介した阿部さんとルイスくんの作品の百合の花が咲き始めました。

やはり、百合の花が咲くと、大きく雰囲気が変わります。可憐さだけでなく、豪華さも加わってきたような感じを受けます。毎日、少しずつ変わっていく変化に気付き、楽しむことは、気持ちが豊かにもつながります。

生徒に感謝です。

(阿部さんの作品)

(ルイスくんの作品)

 

平和とは⑥

平和とは一体どのようなものでしょうか。

以前、私は、「平和とは、一人ひとりが自己の可能性を信じて、他者と協力しながら、その可能性を追い求めることができる状態である」と書きました。一言で言えば、「暴力」がない状態と考えています。

少し話は逸れますが、この平和の考え方が、国際科学科である本校の目指す教育像にもつながっていることを確認したいと思います。本校のモットーは、前鈴木校長が残してくれた「I can do it」です。自分を信じ仲間を信じる力を、明日が今以上に素晴らしいと思える力を、仲間の夢を自分の夢のように喜ぶ力を、そして、何度も転びながらも起き上がり、未来を信じ行動する力を、生徒に身に付けさせていきたいと思っています。

話を戻しましょう。では、「暴力」とは一体どのようなものなのでしょうか。「暴力」=戦争という簡単な図式ではありません。

ノルウェーの学者ヨハン・ガルトゥング氏は、「暴力」には、「主体的暴力」と「構造的暴力」とがあると言っています。そして、彼は、戦争のない状態である「消極的平和」だけではなく、貧困、抑圧、差別など構造的暴力のない状態である「積極的平和」をも目指さなければならないと強く訴えています。

「主体的暴力」とは、主語がはっきりとした暴力で、戦争などが示すように「誰かが誰かを倒そうと攻撃している」と表現することができます。しかし、差別や飢餓、貧困など主語のはっきりしない、つまり社会構造そのものに組み込まれてしまっている暴力もあるのです。それを、「構造的暴力」と呼びます。「構造的暴力」は、社会構造に組み込まれてしまっているために、気付かずに人生を終えてしまうこともあります。例えば、「お金がないから、進学することはできない」などは、これに当てはまるでしょう。差別や貧困は、その人の潜在的人格を発揮できない状態にし、その人から夢や希望を奪ってしまうのです。

では、どのように平和をつくっていかなければならないのか。

この半年をかけて、少しずつでもいいので、考えていきましょう。校長室はいつも開いていますので、お話しに来てください。

 Let's think.

山を張る

いよいよ後期中間考査が19日より始まります。本日も、放課後、教室に多くの生徒が残っています。生徒の皆さん、準備は万端でしょうか。

2、3年生については、第二外国語や実習を中心とした一部の科目の試験が14日より実施されるようです。少し長めの考査期間にはなりますが、集中力を切らさないようにしてください。

後期中間考査は22日まで続くことになります。その間、遅くても13時にはすべてのテストが終了しますので、生徒は普段よりも早く帰ることになります。ご家庭におきましてもご指導をよろしくお願いします。

考査を控え、少し勉強の仕方について、お話をしたいと思います。

「山を張る(掛ける)」と言う言葉があります。リスクを負いながらも、大きな賭の勝負に出ることをいう意味です。「山」は「鉱山」のことで、「山を張る」とは金や銀などの貴重な鉱脈のありそうな山を予想して掘り当てようとすることです。そこから、確実性のないところに労力を投下するという意味で使われるようになりました。特に現在は、試験勉強などで出題される問題を予想して、そこだけを覚えるというやり方で使われることが多いようです。

高校時代の私の友人の話をします。彼は、有名国立大学へ入学した秀才でした。高校1年生の頃、試験の前に、彼が私に、今度の数学はどこが出題されそうかを聞いてきたのです。予想しているところを答えると、彼もうなずき、大体同じだと言うのです。その話を聞いて、私は安心したのですが、彼は続けて、私にいくつかのアドバイスをしてくれました。最後まで聞いていると、彼のいわゆる「山の張った」ところは、すべての出題範囲でした。こいつには勝てないと思った瞬間でした。

前にも書きましたが、この時期、生徒から「もっと時間が欲しい」「時間が足りない」という言葉を聞く度に、少しだけうれしくなります。何かに取り組みはじめ、少しでも分かり始めると「これも、あれもしないと駄目だ」と気付き始めるからです。何かをやり始めなければ、時間が必要なのかどうかも分からないのです。そのため、「時間が欲しい」という言葉を聞くと、何かやり始めたなと感じることができるので、少しだけうれしくなります。

「少しだけ」というのは、そのことを考査期間ではなく、普段の生活の中で分かって欲しいという欲張りな願いです。部活などで、あと1点、1ポイントがとれない理由が、そこにあるのかもしれません。

時間は、人間に平等に与えられた数少ないものの一つです。その貴重な時間をどのように使うのかを決定するのは自分自身です。この平等に与えられた時間をどのように使うかを学ぶところが学校だと考えています。時間を考えることは、自己を磨くことにつながると考えています。

頑張れ、あさか開成生。「We are one. You can do it」

11月の花

授業「日本の伝統文化」の生徒、3年生の阿部咲楽さんとパラグアイからの留学生ルイスくんの作品が正面玄関を飾っています。

今回は、二人の作品ともに、クジャクソウ、透百合、千日紅、モンステラを使ったものです。

残念なことに、まだ、百合が咲いていません。百合が咲いたら、ずっと雰囲気が変わるだろうなと思っています。

まず、阿部さんの作品は、枝の先に咲く小さな、可憐な白いクジャクソウの花をまとめ上げ、華やかさを出しています。クジャクソウも、まだ、咲ききっていないようですので、まだまだ華やかになることでしょう。そして、中央にある赤の千日紅がアクセントになっています。また、モンステラも切り込みを入れて、全体を邪魔しないように工夫しています。百合が咲いたら、今以上に華やかになるだろうと勝手に想像してしまいます。そして、ルイスくんの作品ですが、丈が高くなるクジャクソウの特徴を利用し、百合と競わせるようにクジャクソウを上部にも添えました。非常に高さがあり、迫力のある面白い作品となっています。

二人の作品とも個性が出て、とても良い作品に仕上げっていると思います。

ちなみに、クジャクソウの名前の由来は、いくつも枝分かれした枝の先に咲かせる花の様子が孔雀の羽のように見えることからだそうです。キク科の仲間で、原産地は北アメリカです。日が短くなることで花が咲き出す短日植物です。

また、千日紅の赤いものは、花ではなく、つぼみを包む葉が変形した部分「苞」です。千日紅の苞の色は、色あせにくく、千日も鑑賞できることから名前がついたそうです。

11月も生徒に感謝です。

(阿部さんの作品)

(ルイスくんの作品)